友達がうざいと思うのはどういう時?うざい友達の特徴や対処方法を知ろう!

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友達がうざいと感じる瞬間ってありますよね。自分がうまくいってないのに友達がうまくいっていたりしたら、自慢されたようで嫉妬心からうざいという気持ちになったり。

逆に自分がうまくいってるのに上手くいってない友人に足を引っ張られていると、自分を被害者のように感じます。友達の関係は、友情に基づきますが、時には嫉妬がそれを上回ることもあります。友だちの価値観についていけなくなる時もあります。そんな時の心が相手をウザイ人と感じさせてしまったり、距離を離したくなるのかもしれません。

今回は、友達がうざいと感じる瞬間がどのようなものなのか考えみましょう。

うざい友だちの特徴

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うざい友だちの特徴とはどんなものがあるのでしょう?

こんな人はうざいと思われます

身の回りに、こんな人はいませんか?またはあたなはこんな風に思われていませんか?

  • 口の軽いスピーカー女/男
  • 「私なんて…」が口癖のネガティブ女/男
  • 口を開けば自慢話の自意識過剰女/男
  • 人の幸せをやっかむ女/男
  • 人の悪口ばかり言う女/男

誰かの気分を害するような喋り方をしていると、周りの人たちにうざいと思われてしまいます。

友だちはもう一人の自分

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その友だちは、いつから友だちですか?自分で作った友だちがだんだん疎ましくなってくるのはなぜでしょう?

自分の特徴をみているようで嫌だ

友だちや家族は、自分の鏡です。子どもの頃から一緒にいる家族は生活様式が似てきます。価値観や同じ経験を共有した仲間は、自分の一部です。その一方で、自分は自分であり、他人は他人です。他人を自分の思い通りにはできません。人は成長と共に、他人がどのようなものか理解していきます。

友だちや家族が鏡といっても、周りにいる全ての人と上手くやっていくことなんてできません。自分自身とうまくやっていくことが困難なように。もしかして、ウザイと思う友だちの中に、自分をみてしまっているのかもしれません。同属嫌悪とは、「認めたくないけど自分もこんなところがある…」という所を相手に見てしまって、持ってしまう拒否反応。

自分のもっている、認めたくない自分の嫌な部分を刺激するよなものをもっている人にも、同属嫌悪の意識が働きます。自分では良くわからないけど、なぜかみてるとムカムカする時は、自分の心に聞いてみてください。

悪口のネーミングで嫌い合う

気の合う仲間だと思っていた人を、気が付いたらウザイと感じ、一緒にいることがストレスになってしまうのも、人のサガ。苦手になってしまった人間とは、誰だってスムーズな人間関係をこなすことはできません。それは仕方のないことです。

特に自分の価値観が定まってない時期は、苦手なタイプが周りにいると、自分と他人が違う人間だという区別ができず、なんと表現してよいのか言葉も見つからず、「ウザイ」という気持ちになってしまいます。そんな頃は、環境や心の対処がうまくできません。

自分の周りにいる誰かが口の軽いスピーカー女でも、「私なんて…」が口癖のネガティブ女でも、口を開けば自慢話の自意識過剰女でも、それは他人です。そんな面倒な誰かを、悪口のようなネーミングで名付けあって、仲間意識を強めるのは、本来は自分の人とは違う可能性を狭めることにつながり、徐々に世界をつまらないものにしていきます。

中学生の頃は分類しがち

中学生の集団、とくに女同士によくみられる集団を発達心理学では、チャムと言います。

女子たちは一緒の行動を好み、自分たちが同じであることをアピールします。頻繁に連絡を取り合い、共通の視点を持っているか確認しあいます。共通であることを求めすぎて、時には誰かを仲間はずれにすることで仲間意識を強固なものにしていきます。それも高校生になる頃には卒業します。

この社会で、成長していく途中の必然の行動の一つなのです。高校生になって、自分とは違うけれども共感できる友だちというものを獲得していきます。といっても、友だちが同じ価値観を持っていないと知っても、大学に入る前までは、学校内での行動パターンが決まっていることが多く、なかなか苦手な人がグループにいても対処法が思いつきませんよね。

大人になっても対処できない

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他人と自分が違うと理解しても、大人になっても、やっぱりウザイ人っています。

大人になっても中々解決してくれない

大学生活に入ると、ずっと同じ行動をするわけではないので、それまでより友人との距離感を取りやすくなり、解消法も以前よりはでてきます。方法がわからなかったら、そもそもその輪の中にはいらないように自分でスケジュールを組む方法もとれます。

そして、社会人になって仕事を始める頃になると、学生時代の友だちとは少し疎遠になったり、環境が変わったせいで以前と同じ一つの気持ちになっていると感じることが少なくなってきますが、過去に培った友情の厚みで、お互いの存在はなくてはならないものとなっています。これはずっと続きます。

しかし、友だちといっても半分は敵のフレネミーのような存在だと、お互いの生活の幸せアピールがマウンティング合戦の武器となったり、どれくらい異性にもてるか、恋人の顔や秀でた特徴が何かの話題を噂話にして、自分と恋人は違うのに、自分や相手の恋人を基準に相手を値踏みしようとする時もあります。

刺激的な友だちと、それ以上の友だち

それが刺激的な友だちという位置付けくらいなら、人生に面白みもでますが、相手の生活のことを画像までつけてSNSに投稿しあったり、自分の体験ではない誰かのことを自分のことのように発言してしまう、という所までいくと注意が必要です。客観的な他からの視点を忘れています。

相手がウザイからついうっかり、ということがあるかと思いますが、そういう友だちとはヒートアップしないようにお互いに気をつけましょう。一般的に女性にそのような人が多いと思われがちですが、男性もしかりです。男の嫉妬は怖いとも言います。

人間関係とはかくも難しいのか

人生とは、平坦なようで転びやすく、転んだからといって劇的な世界になることもありません。理由も原因もなく誰かに笑われたり、手の込んだいたずらのように上手くいかない日もあります。それが続くこともあります。ちょっとした言葉で傷ついてしまったり、自分のものなのに、なかなか思い通りにいかない性格のおかげで、いろんな目にも合います。

友人関係を簡単に解決するポイントなんて本当はないのかもしれません。ただ、「すっきり片付く」とか「みるみる良くなる」、「これで解決」など書かれている自己啓発系の文章や話をみたり、解決してくれる場面集をみると、それを真似すれば自分もスマートに友人関係を解決できるんじゃないかと錯覚します。

「めんどうな女ともだちは、こうすればよい」とか、「彼氏はこうすればできる」、「不安はこうやって解消しましょう」など、昔からある定番の深夜のラジオ番組、電話相談や新聞や雑誌の相談コーナー、無数に繁殖しつづけるウェブサイトの文章を読んだりなどなどで、気晴らしをしながら、私たちはなんとか生活を続けます。

うざい人への対処法

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どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画えが出来る。

とかくこの世は住みずらい

もしあなたが本当に友だちがウザイと感じて、未成年でない場合は、答えは簡単です。引越しをしましょう。環境を変えればよいのです。「そこまでじゃないし」、「他の友だちと離れるの嫌だし」といっても、他のよい友だちとは、引越ししたって別の場所に住んだって、あなたが忘れなければ友情は続きます。

ついでに新しい場所で、もっとよい友だちができるかもしれません。ただし、文豪の夏目漱石は彼の初期の名作「草枕」でこのようなことを言っていますが。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、束つかの間まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降くだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑のどかにし、人の心を豊かにするが故ゆえに尊たっとい。

人を豊かにしていくもの

住みずらさから、詩や画ができると草枕を通して語った夏目漱石。それは、自分にとって気持ちの良い環境だけでは生まれぬ感情や表情が文化を作っていくということだと思います。「私の生活と、画とか詩とか、関係ないし!」という声が聞こえてきそうですが、特別なものから文化や芸術がうまれるのではなくて、日常の軋みやズレの堆積がそれを形作っていく面もあります。

芸術というと大げさになりますが、人生の豊かさ、のちに振り返った時の自分の人生の彩りを豊かにしてくれるものは、周りの人々といった風に考えてみるのはどうでしょう?だからウザイ友だちを我慢しろいう話ではありません。その友だちとの関係を、どうやっていくかは結局はあなた次第。

あなたは、その方法もやり方も今までの人生で獲得してきているはずです。それをどんな風に行動に移すのか、それとも音楽を聞いたりウェブサイトをみて気晴らしをしてやり過ごすのかなども、あなたが好きに決められることなのです。

明日はヒノキの木になろう

川端康成の名作「あすなろ物語」は主人公の成長していく過程で出会った人たちとの想いを綴った小説。小・中学生の頃に読んで影響を受けた人も多いかもしれません。ヒノキの木に似ているアスナロの木が、「明日はヒノキの木になろう」と思いながら、一生ヒノキにはなれずに生き続けるというエピソードが下敷きとなって、物語は進みます。

私たちは自分の生活や展望をコントロールできると思いながら生きています。周囲の人のことも、ネーミングして分類すれば対処できる対象になるのかと勘違いしがちです。そして自分はその分類に入らないように注意深く生きていこうとします。

果たしてそれは、可能なのでしょうか?私にとっては誰かがウザく、誰かにとっては私はウザイ存在かもしれません。私はネーミングされて分類されて、対処されるべき存在なのでしょうか?向こう三軒両隣がつくる世界を、豊かにするには自分自身が変わるほかないのかもしれません。

まとめ

友だちがウザイと感じてしまう。自分の価値観とは違いすぎる。人間関係というのはいつの時代も、世代や男女関係なく常にまとわりつく問題です。ちょっとしたことのようで、生活に大きな影響を与えることでもあります。

ウザイという気持ちが、何か違う目を持って違う気持ちになったらいいですね。

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