尽くす女の特徴とは?心理や依存との関係について!

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私は、尽くす女かもしれない、そうふと頭をよぎった方も多いのではないでしょうか?。

草食系男子が話題になる昨今の恋愛は、どうしても女性がリードしなくてはならくなりました。最初は甲斐甲斐しい思いも時が経つにつれてそれは常態化し、気付くといつも尽くす恋愛をしている。そのような思いを抱いている女性は少なくないと思います。

そこで今回は、尽くしてしまう女性の傾向を3つに分けて考えて行きたいと思います。

尽くす女性の特徴

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それでは、尽くす女性にはどんな特徴があるのでしょうか。

世話を焼く

これは家事全般に言えることですが、尽くす女性はまず身の回りの世話を積極的に焼く傾向にあります。別々に暮らしている彼の自宅で、掃除、洗濯、買い物、料理をこなすことは当たり前です。

少しでも彼が気持ちよく暮らせるように、或は、仕事や勉学に安心して励めるように、あらゆる雑事を引き受けます。病気になったと聞けば、温かく消化のよい食べ物と、薬や栄養ドリンクを買って彼の家に駆けつけるのです。

客観的に眺めれば、もう一人の母親と言えなくもありません。しかし、尽くす女性にとって、彼の身の回りの世話をすることは、この上ない喜びなのです。

相手の要求を常に受け入れる

昔は「恋は盲目」とよく言いました。この言葉が表すように、恋をしたら理性が働かなくなり、周囲のことが見えなくなるということです。気持ちは、いつ何時でも100%彼に向かいます。そして、相手の全てを受け止めることに力を注ぎます。

例えば、残業で遅くなった彼に、「会社まで迎えに来て欲しい」と言われれば、あなたがどんなに気持ちよく眠りについていたとしても、即座に身支度を整え真夜中に車を走らせるでしょう。彼の自宅まで送り、彼が別れ際に「ありがとう。助かったよ」ともしあなたに声を掛けてくれたら、あなたはやはり来てよかった、やはり私がいないと彼はだめなんだ、と心底思います。

恋愛であれば、相手の役に立ちたいと思うことはごく自然な感情です。しかし、それはお互いの生活を脅かさない程度であることは、恋愛を続ける上での大切な要素だと思います。

時には金銭的援助をする

相手の要求を常に受け入れるに続くことですが、尽くす関係がエスカレートしていくと、彼の金銭的要求にも応じるようになります。

今月の家賃が払えない、生活費が足りない、果ては友達と旅行に行くお小遣いや日常の遊興費まで、気付けばあなたが援助していた。恋は盲目ですから、それはおかしいと諭す友人の言葉が耳に入らないばかりか、何故私が?と気付き始めている自分の心まで見ようとはしないのです。

そればかりではありません。やはり彼の生活に私は無くてはならない存在なんだ、という思いを強くするのです。

尽くす行為に潜むもの

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次に、尽くす行為そのものの内に潜むものはどんなものなのか、少し視点を変えて見て行きたいと思います。

そもそも女は尽くす生き物?

尽くすという行為を、生き物としての脳の観点からみてみると、面白いことが見えてきます。

脳には右脳と左脳があることは、皆さんもご存知かと思います。右脳と左脳にはそれぞれ役割があって、右脳については、イメージや感覚的なもの、感情、気持ちを察する力があると言われています。

一方、左脳については、自意識や論理、言語を司る機能を担っていると言われています。更には、女性と男性では右脳と左脳の発達に差があり、女性は右脳がより発達し、男性は左脳がより発達しています。

感の良い方ならもうお分かりかと思いますが、右脳がより発達している女性は、本来相手の気持ちを汲み取る能力に男性より長けている生き物なのです。そうであれば、相手の気持ちをいち早く察し、彼の望みを叶えてあげたいと思うことは女性ならではのことなのです。

相手の為になりたい、相手が喜ぶことがしたい、そうより多く思うことは、本来の女性の姿の一部なのかもしれません。

相手と同一になりたい

皆さんは、尽くすという行為の根底にどんなことがあると思いますか?。もちろんその人の持ち前の優しさ、心の広さ、行動力、度量、様々な要素が上げられると思います。これは否定されるものではありません。

しかし、自分の心の中に、なにがしかのコンプレックスや抑圧された感情があったとしたらどうでしょう。さらに、自分ではそれが克服することが難しかったらどうしますか?。

私達は自分の出来ない部分や、こうありたい自分を相手に投影することはないでしょうか。そして、自分では達成できないことを、相手が活躍したり達成する可能性があれば、そこには尽くすという感情が生まれます。

相手の活躍のために、相手の成功のために尽くすことで、自分の出来なかった感情を実現させる。そして、相手が成功を手にした時、自分も同じ様に成功を手にします。こうして、相手と同一になりたいという欲求が、尽くすことによって充足されるのです。

尽くす行為、それは依存かも知れない

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尽くす行為、それ自体は優しい思いやりから出る行為です。しかし、ある許容範囲を超えてしまうと、それは依存と言われるものかも知れません。

依存症としての尽くす行為

依存と一口に言っても、様々なものがあります。

例えば、アルコールやタバコのように物質に依存する場合と、買い物のようにそのプロセス自体に依存する場合です。尽くすという行為に依存が疑われる時、それは人間関係そのものに依存していると考えられています。

よく言われることですが、人は互いに支え合って生活を営んでいます。これは紛れもない事実です。人はある程度依存し合って生きているのです。ではどこからが、尽くす行為が依存と捉えられ、考えられるのでしょうか。

そもそも依存するとは、脳がご褒美をもらうことと深く関わっていると考えられています。例えば、私達がお気に入りの洋服を買ったとします。その時店員さんに、とてもよくお似合いですね、或はお客様はとてもセンスがよいですね、と声を掛けてもらえたらどうでしょう。

私達はとても嬉しい気持ちになり、またあのお店に行こう、と思いませんか。この嬉しい気持ち、が脳へのご褒美なのです。脳は一度受けた快感やご褒美を覚えていて、またご褒美が欲しくなります。そうして私達はもう一度あのお店に行き、もっと過ぎると買い物そのものがしたくてたまらなくなるのです。これが買い物依存です。

これと同じことが、尽くすということでも言えるのです。掃除をする、料理を作る、車の送迎をする、看病する、そして彼に信頼され、感謝される。その信頼と感謝は無上の喜びをあなたにもたらし、「もっと感謝されたい」と願うようになる。脳が感謝されるというご褒美をもらうべく、私達は更に彼に尽くすようになるのです。これが尽くすことが依存になる瞬間です。

もちろん、その果てしない行為に耐えうるだけの体力や経済力があれば、それはさほど問題にはならないでしょう。しかし、一般的にはそうではありません。依存が強まれば、大抵は精神的にも肉体的にも、また金銭的にも疲弊します。自分の生活を破壊してまで尽くすことにのめり込む、これはもはや単なる世話焼きを超えて、人間関係への過度な依存を疑わなくてならないのです。

共依存の場合がある

先に見たように、尽くす行為の根底には人間関係の過度な依存があるかもしれないと、お話しました。ここでは、依存する相手と共に依存し合う関係をみてみたいと思います。

ギャンブルにはまる夫、働かない彼を献身的に尽くす妻や彼女を、見たり聞いたりしたことはありませんか?。ギャンブルにはまっている夫は、妻に貢がせ、日常の世話を焼かせることで相手に迷惑をかけ、そうすることで相手をコントロールすることに依存しています。

一方妻の方は、夫のギャンブルの犠牲になってはいますが、「世話を焼き、この人を支えられるのは私だけだ」と、夫の酷い仕打ちに耐えることを喜びとすることに依存しているのです。これを共依存といいます。

こうして、尽くすという行為の向こうに、依存という状態と、更に相手を含めた共依存という関係が隠れていることがあるということも、知っておく必要があるのかも知れません。

まとめ

ここまで、尽くす女について考えて来ました。

尽くす、それ自体は優しい気持ちの表れです。しかし、自分の生活が立ち行かなくなるほどのめり込んでしまったら、それはもはや単なる尽くしたいという思いを超えて、感謝されることに虜になった依存者ではないでしょうか。

尽くすという字は「尽きる」とも書きます。自分自身の心や体のエネルギーが尽きてしまう前に、立ち止まり、勇気をもってご自身を大切になさって欲しいと思います。